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不世出のレジェンド・ドライバー、マリオ・アンドレッティを知っていますか?

マリオ・アンドレッティって知ってますか? おそらく、歴史上で最も広く名を知られたレーシング・ドライバーでしょう。近頃ならアイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハーあたりが有名ですかね。最新版はルイス・ハミルトンか、と。

でも、彼らの名前ってレースや自動車が好きじゃない人まで認識してるってレベルには届いてないでしょ? それがマリオ・アンドレッティだと、モータースポーツに興味はなくても『名前は聞いたことがある』っていう人が多い。それも、人々はちゃんとレースに関連づけて、正しく認識をしている。

マリオ・アンドレッティは現在79歳。今でもインディカーの2シーターのドライバーとして活躍中。ほとんどのサーキットに遠征し、決勝スタート前にペースカーの前を走ったり、VIPやファンを乗せて走っている。その気になればインディアナポリスで200mphも出しちゃうスーパーおじいちゃんなんです。

彼がその名を世に轟かせたのは、様々な国、カテゴリー、シリーズで大活躍したからでしょう。私めのマリオ体験は、1976年のF1グランプリ・イン・ジャパンが最初。富士スピードウェイで開催された、日本での史上初のF1公式戦で優勝したのが彼で、黒いボディに金色のストライプという精悍なマシン=ロータス77が衝撃的にカッコよかった。

マリオ・アンドレッティのF1チャンピオン時代。ロータスに乗って、日本で1976年に勝って、1978年にチャンピオンに。メインスポンサーはイギリスのタバコブランドであるジョン・プレイヤーズ・スペシャル。サイドポッドには日本のカメラメーカー、オリンパスのロゴが載った時代も

銀色に太い赤のストライプ(青い取り)というヘルメットも、シンプルかつセンスが良かった。なお、このデザインは息子のマイケルや孫のマルコも使用しています。

これがマリオのインディ500ウィニング・マシン、ホークIII/フォード。

マリオの知名度には、彼の出自も大きく影響しています。第二次大戦前、当時イタリア領だった、今だとクロアチアになっているエリアで生まれた彼は、子供時代にイタリア本国に家族で移り住んだが、両親はアメリカへ渡ることを決意。新天地でようやく生活が安定し、マリオはレースで走り始めました。

すると、すぐさま才能が開花。マリオはダートオーバルで勝ちまくり、インディカーへとステップアップ。GTマシンやストックカーのトップカテゴリーでも活躍するまでになりました。ここまででも凄いサクセスストーリーです。そして彼は、1969年にインディ500優勝を達成しました。

インディカーでは4度のシリーズチャンピオンを獲得し、ポールポジション獲得数67回は歴代ナンバーワンの記録ですが、マリオはストックカー最大のレース・デイトナ500でも優勝しちゃってます。1967年のことです。

耐久レースでは今でこそデイトナ24時間が有名ですが、じつはデイトナより長く続いてる耐久レースがセブリング12時間で、アメリカではそちらの方がステイタスは上。マリオはデイトナやルマンの24時間レースでは勝てていないんですが、セブリングでは勝ってます。それも3回も。インディ500に次ぐ歴史を誇るレース(ヒルクライム)のパイクス・ピークでも、マリオは優勝しています。

さらにマリオはアメリカに留まっている器ではなく、自らのルーツであるヨーロッパへのチャレンジを始めました。母国イタリアの象徴とも言えるフェラーリのドライバーに抜擢され、F1グランプリに出場するようにさえなった。その後にロータスに乗り、世界チャンピオンの座に上り詰めた。マリオ・アンドレッティは、アメリカのインディカーとヨーロッパ中心のF1の両カテゴリーでチャンピオンになった初めてのドライバーなのです。

アメリカに限れば、インディ500で通算4勝を誇る(現在も最多タイ)AJ・フォイトが超・有名です。彼はル・マン24時間レースを、フォードGT40というアメリカ車で制したコトもアメリカでの高評価に繋がっています。

またストックカーの分野では、リチャード・ペティ(デイトナ500で7勝+シリーズチャンピオン7度)や、デイル・アーンハート(シリーズチャンピオン7度)という有名ドライバーもいる。しかし世界的な知名度を持つのは、結局のところマリオ・アンドレッティだけだと思います。グレアム・ヒルやジム・クラークでも、知名度ではマリオにかなわない。

マリオの凄いところは、何に乗っても速く、その速さを長い時間に渡って保ち続けたところ。移り住んだアメリカで成功し、ルーツであるヨーロッパでも活躍。その上で、グランプリの1戦である極東の国=日本など、世界中で勝つことによってその名を広めました。

どんなマシンに乗っても速かったから、様々なレースで引く手数だったマリオは、GTマシンだとセブリング12時間というアメリカで一番歴史の長いビッグレースで勝っています。ストックカーでも、シリーズ最大のデイトナ500で優勝。しかし、なぜか24時間レースでの優勝はとうとうなかった。

キャリア晩年にそれを達成しようとポルシェ・ワークスからル・マンに出場したこともあったし、デイトナ24時間にも挑戦した。これらのレースでは息子マイケル、甥のジョンとアンドレッティ一家でマシンをシェアしたが、優勝は実現しなかった。

マリオが最後にドライブしたインディカー、ローラT94/00・フォード。この前の型であるローラT93/00・フォードを駆り、フェニックスの1マイル・オーバルでの優勝が最後の勝利となった。あの場にいられたこと、今考えると貴重。なおチームメイトのナイジェル・マンセルは、予選前のプラクティスで大クラッシュして決勝に出場できなかった

現役を長く続けたマリオは、1980年代半ばからは実の息子のマイケル・アンドレッティをチームメイトとして、インディカーで戦いました。フルシーズンを戦った最後は1994年。マイケルはF1に行き、代わりにチームメイトには前年のF1チャンピオンであるナイジェル・マンセル(イギリス出身)が迎えられたのです。

今年はマリオがインディ500で優勝してから50年。マリオは才能豊かだったけれど、同時に不運なコトでも有名で、インディ500では1回しか勝てていません。それでも彼のレースで残した素晴らしい業績が今年のインディ500では讃えられ、スピードウェイ内のホール・オブ・フェイム・ミュージアムの展示も、メインテーマは彼のヒストリーとなっていました。スプリントカー時代のマシンから、インディカー、F1、ストックカー、スポーツカーまで、マリオが乗って好成績を残したマシンがズラリ! 多くの写真も展示されていました。

息子のマイケル・アンドレッティは、チームオーナーとして現在も活躍中。インディカーシリーズがふたつに分裂した時代があって、その頃が全盛期だったマイケルはとうとうインディ500で一度も勝てなかった。さらに父親譲りの不運も影響し、優勝目前でリタイアしたり、逆転されたりといったこともありました。

しかしチームオーナーになってからのマイケルは、インディ500で大活躍! チームが果たした優勝マシンも、今回展示されていました。アンドレッティ・オートスポートによる最も近年のインディ500優勝者は、2017年の佐藤琢磨(!)。彼のビクトリーレーンでの写真などが紹介されていました。

マルコ・アンドレッティが今年乗ったダラーラ・ホンダは、祖父マリオの優勝から50周年ということで同じカラーリングを採用

息子マイケルは、インディ500では勝てなかったけれど、インディカーではシリーズチャンピオンになりました。孫のマルコ・アンドレッティは現在もインディカー・シリーズに参戦中で、通算2勝をあげています。マルコ・アンドレッティは、昨年に結婚。子供が生まれたら、やっぱりレースの道に進むのでしょうか?

ちなみにマイケル・アンドレッティは3度の結婚をしており、マルコ以外にも子供がいます。マルコにとっては異母弟になるルッカ・アンドレッティは、もうレースしてていい年齢のはずだけど、全然そういう話は聞かない。もう少ししたら、マルコの子…つまりマリオのひ孫が、レースに出てくれることも十分に考えられますね。

今年はマリオがインディ500で優勝してから50周年ってことで、テレビが特別番組を制作。カートでピットとガレージを走り回る姿を撮影中

マリオの成功の秘訣は、その人柄の良さかも。誰もが好きになるでしょう、あの笑顔は。あぁいうのをチャーミングって言うんだろうな。微笑みながら、含蓄に富んだ、ズシリと来ることを言う。レースに対する情熱、愛情の現れとして、意見はキッチリ言うし、批判も厳しい。改善すべき点があれば、そうした指摘も厭わない。アメリカだけじゃなく、世界のレース界で深く尊敬されるワケです。

インディアナポリス・モーター・スピードウェイ内のミュージアムは、アンドレッティ関連の展示が終わっても、また違った興味深いテーマでの展示をしてくれることでしょう。入場料は10ドル。その価値は十分にあり。ほぼ年中無休なので、お近くにお越しの際は、是非!

(text:Hiko AMANO 天野雅彦)
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