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【ホンダアクセス】ホンダ車オーナー待望、Moduloと無限がコラボした「Modulo MUGEN THANKS DAY」開催(6)

ホンダ車オーナーにとってはおなじみ、Moduloブランドの純正アクセサリーを展開するホンダアクセスと、無限ブランドのアフターパーツや、ホンダのモータースポーツ活動で共闘するM-TECが共催するイベント「Modulo 無限 THANKS DAY 2025」が、栃木県・モビリティリゾートもてぎにて開催された。

1987年からF1に参戦した中嶋氏。初年度のチームメイトはアイルトン・セナだった

モビリティリゾートもてぎ・南コースを舞台に、オーナーズミーティング/メインステージ/デモランコース/展示車両エリアに分かれて様々なコンテンツが用意されていたが、唯一、南コースの外で行われたのが「中嶋 悟 氏スペシャルトークショー」だ。日本人ドライバーとして初めてF1世界選手権にフル参戦した中嶋 悟 氏が、当時のエピソードなどを語った。

会場となったのは、モビリティリゾートもてぎ内にあるホンダコレクションホール。トークショーの開始時刻である13時30分を迎えるころには、会場は超満員! トークショーは中嶋 悟 氏と、レースアナウンサーのピエール北川氏がインタビュアーとして登壇。過去の様々な写真とともにエピソードが語られた。

1987年、ホンダとともにチーム・ロータスへ加入した中嶋氏。34歳での挑戦だった

中嶋氏といえば、もはや説明不要ではあるけれど日本人初のF1フル参戦ドライバー。初参戦は1987年のことで、チームはロータス・ホンダ、チームメイトはアイルトン・セナだった。当時のセナはF1参戦4年目(ロータス所属3年目)ながら、すでに複数回のポールポジションや優勝を経験するなど未来のチャンピオン候補。年齢は中嶋氏のほうが7つ上ながら、コースの内外で様々なことを教わったという。

1987年の開幕戦ブラジルGPでは7位でフィニッシュ。第7戦いギリスGPでは4位に入賞し、チームメイトのアイルトン・セナは3位。そして同じホンダエンジンを搭載するウィリアムズが1位と2位を獲得したため、ホンダ・ユーザーによる1-4位独占の一角を占めた。

毎年、シーズン開幕前にホンダの創業者である本田宗一郎氏のもとを訪ねるのが恒例だったという

F1参戦初年度は7ポイントを獲得、シリーズランキングは12位となった中嶋氏は、翌1988年もチーム・ロータスでホンダとともに参戦。この年はアイルトン・セナが移籍し、チームメイトには前年のシリーズチャンピオンであるネルソン・ピケが加入した。しかし1988年のマシン、ロータス100Tは想定したパフォーマンスを発揮することができず、中嶋氏はわずか1ポイントのみの獲得に留まった。

1989年はホンダがチーム・ロータスを離れ、エンジンはジャッドに変更。ライバルに対してパワー面で不利なことや信頼性の低さからリタイヤも多く、シーズン序盤〜中盤は苦しいレースが続いた。しかし最終戦オーストラリアGPでは予選23番手からスタートすると、大雨のなか多くのドライバーがクラッシュするなかで、抜群の走りを披露。決勝レースのファステストラップを記録し、4位でチェッカーフラッグを受けた。

1990年にはティレルへ移籍。フォード・エンジンを搭載するティレル018、第3戦からはティレル019を駆って第12戦イタリアGP、そして第15戦日本GPでは6位に入賞。シリーズランキングは15位となった。

翌1991年もティレルに所属し、この年のティレル020はホンダのV型10気筒エンジンを搭載することで活躍の期待が高まった。開幕戦アメリカGPでは5位入賞と幸先の良いスタートとなったが、第2戦からは3レース連続でリタイアを喫するなど上位入賞の壁は厚く、シーズン途中でこの年限りでの引退を表明した。

F1引退とともにレーシングドライバーとしての活動も終了することとなったが、トークショーでは体力的なことや年齢とともに視力が低下していたことなどが語られた。

レーシングドライバーの引退後は、NAKAJIMA RACINGの監督業に専念してSUPER GTの前身である全日本ツーリングカー選手権や全日本GT選手権、そしてスーパーフォーミュラの前身であるフォーミュラ・ニッポンに参戦。チーム監督としての仕事内容については謙遜していたが、マシンのカラーリングについては「ステッカーの位置や大きさとか、けっこう細かく口を出していたから煩がれていたと思うよ(笑)」と語り、会場に訪れたファンからも拍手と笑いが送られていた。

(TEXT:Kentaro SABASHI 佐橋健太郎)